ひとは会えるときに会っておかないとね

ぐすーよー、ちゅううがなびら(みなさま、こんにちは)!
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&いつも沖縄ジョートー市場をご愛顧いただき、まことにありがとうございます☆
梅雨明け、夏空快晴の那覇から、七海(ななみ)こと「ねこ」こと店主・ミカです。

那覇空港方面の空です♪

昨日、梅雨明けした沖縄。

「海の青さ~に~♪ 空の青~♪」

と、「芭蕉布」(作詞・吉川安一/作曲・普久原恒男)の歌詞が思い浮かぶような青空です。

昨日から阿嘉島へ行く予定でしたが、昨日早朝、島から連絡が入り、島行きは延期になりました。
島に行くときは、BBQ用のお肉などモロモロの食材を買い出しして持っていくのが恒例。
島で海を眺めながら食べるはずだったお肉があるので、今日は夕方から近場の海辺で軽くBBQをしようかなと思っています。


昨日ブログを綴っていたのですが、ちょっと長い、淋しい内容になってしまったので、気持ちを切り替えて、いま書いています。
まったく個人的なことだし、店主ブログの内容に相応しいかはビミョーですが、自身の備忘録、どぅーちゅいむにー(ひとりごと)として綴ります。

※すみません。書き綴ってみたら、けっきょく、少しさみしい、かなしい内容になってしまいました。
以下、楽しい内容、有意義な内容ではありませんので、「それでもいいよ」という方だけ続きをどうぞ。m(_ _)m

この1週間で立て続けに、ふたりもグソーに旅立ってしまいました。
コロナ禍で会うことを控えていたり、 そのうちに、 と思っていたら、 突然会えなくなってしまいました。

ひとりは、阿嘉島のおばぁです。
たぶん87歳くらい。

阿嘉島は、沖縄戦で米軍が最初に上陸した島。
「戦争のことは思い出したくない」と多くは語らなかったし、聞けなかった。

「みんなで山のなかへ必死で逃げたよ」
戦火をくぐり抜けてきたおばぁが、遠い目で、そうつぶやいたのが印象に残っています。

よく笑うユンタク(おしゃべり)好きなおばぁでした。
島でいっしょに高校野球を観ていたら、「てーげーいい試合しているさぁ!」って、大きな声で、おばぁ言ったね。

親族だけでお送りするそうですので、ねこはこころでお見送りしますね。
おばぁ、ありがとうね。
グソーでおじぃたちと仲良くね。


もうひとりは、伊波苗子さんというおばぁちゃま。
105歳と聞いています。

「苗さんは、沖縄戦で牛島中将の最期を看取った方ですよ」

昨年、辻廿日正月神事を通して、苗さんのことを知ることができました。
苗さんのことを教えてくださったKさんといっしょに、2回だけ、辻の施設にいらっしゃる苗さんにお会いすることが叶いました。

何度かお会いしてから、牛島中将のこと、沖縄戦のこと、辻のこと、神事のことetc…、苗さんの人生をゆっくりお伺いできたらなぁと思っていました。

それが、去った日曜日、
「悲しいお知らせです。ミカさんいつも気にされていたし、苗さんにお会いしているからお知らせだけしようと思って・・・」
とKさんから、「苗さんが亡くなった」とご連絡をいただきました。

「喪主はおらず、お通夜も告別式もなく、火葬場でお見送りされるようです」とのこと。
2回しかお会いしていないけれどいいのかな・・・と、少し迷いましたが、
「ご縁あって苗さんと知り合えて、実際にお会いすることができたのだから」
と思い、Kさんたちと一緒に苗さんをお見送りさせていただこうと決めました。

2020年6月9日(火)。
どんな方が、何人くらいいらっしゃるのかも見当のつかないまま、Fさんのクルマで、いなんせ(正式には「いなんせ斎苑」という名称の公営斎場)へ、Kさん、Aさん、Fさん、ねこの4名で向かいました。
少し風の強いくもり空でした。

お見送りに集まったのは、苗さんが入居されていた施設の代表らしき男性と、Oさん、Sさん、そしてねこたち4名の計7名でした。

いなんせの電光掲示板には(名称はうろ覚えですが、確か)「火入 12:45 伊波ナベ様」「収骨 14:35 伊波ナベ様」というスケジュールが映し出されていました。

斎場係員の方の案内で、苗さんが眠るお棺のある場所に通されました。
お棺に眠るお顔が少し左向きになっていたので、右側にいたねこからははっきりとは見えませんでしたが、苗さんは安らかなお顔をされていました。
お棺には、苗さんが好きだったというアロエ、「靖国神社」と書かれた小箱、牛島中将の写真が添えられていました。

詳細はわかりませんが、辻の暮らし、沖縄戦、牛島中将との出会いと別れ・・・。
時代も時代、沖縄という地で、100歳を超える苗さんの人生は計り知れないほど壮絶だったのでしょうが、安らかなお顔でした。

むかし苗さんとご近所だったというSさんが、声をかけてくださいました。
「苗さんは、本当の、実のおばぁちゃんみたいなものなんです。
ふたりだけで見送るのかなぁと思っていたので、みなさんが来てくださって心強いです。
ありがとうございます」。

あぁ、来てよかったんだ。
そう、思えたありがたいお言葉でした。

14時半。
収骨室には、施設の方の姿はなく、6名でふたたび対面した苗さんは、お骨だけになっていました。
先ほどまで確かに人の姿だったのに、わずか2時間足らずで、まったく別の姿になってしまった。
人生の儚さ、切なさ・・・、いろいろな想いが駆けめぐりました。

骨壷には、「令和2年6月7日卒 故 伊波ナベ 享年百一才」と記されています。

「本当は苗さんなのにね」とKさんが言いました。
「年齢も本人は105才と言っていましたよ」とOさん。
戦時下では、役場への届け出も、役場の書類も、どこまで正確なのかわからない、と聞きますが、まさにそれが体現されているようでした。

「このあとは那覇市役所の方とご相談になりますので、今日はここで」と斎場係員の方。
苗さんの納骨先は役場とのご相談によって決まるようです。

別室には入りきれないほど大勢の方が集まっていました。

苗さん、もっともっとたくさんお話を伺いたかったです。
みんなで見送れてよかったよね。苗さん。
グソーで牛島中将と再会されたらどんな話をされるのかなぁ。ねぇ、苗さん。

いなんせを出ると、待っていたかのように、鈍色の空から雨粒が落ちてきました。

1週間とあけず、沖縄戦を知るふたりのおばぁが旅立ちました。
阿嘉島のおばぁも、苗さんも、おふたりともご高齢のおばぁなので、天命を全うされたんだと思っています。

やすらかに。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ステキな週末をお過ごしくださいね。

うまんちゅぬ あちゃー かふー うにげーそーいびーん。
みなさまに琉球弧のすべての神々のご加護がありますように☆

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