癒やしの「イワヒバ」♪(たぶん。ですけど)

ぐすーよー、ちゅううがなびら(みなさま、こんにちは)☆ (^-^)/
本日も沖縄ジョートー市場店主ブログへお越しいただきありがとうございます♪
&いつも沖縄ジョートー市場をご愛顧いただき、まことにありがとうございます☆
那覇から七海(ななみ)こと「ねこ」こと、店主・ミカ(安積美加・ASAKA MIKA)です。
那覇は昨日から風が強く、少し肌寒いくらいです。ワカイビーサ(別れの寒さ)なのかな。

ここのところ、何かとぐまーゆーじぐゎー(小さな用事)で忙しく、サーサーしています。
落ち着かねばー。(>_<)

ということで、
今日はねこの癒やしのひとつをご紹介したいと思います。o(^-^)o

去った3月10日、大里(おおざと)のKさんのおうちへ初めてお邪魔させて頂きました。
集落で2番目に古いというウチナーらしいお屋敷には、立派なブーゲンビリアが咲き乱れておりました。(*^^*)

Kさんからオオタニワタリ付きのブーゲンビリア、とても状態の良いフーチバー、立派なサンニン etc…を頂いて帰ったのですが、なかでも、一目惚れして頂いたのがコチラ(↓)です。
「名前はわからないけど、母のお家の庭にいっぱいあるから持って帰っていいよ~」と言って頂きました。o(^-^)o

Kさんから頂きました。たぶん、「イワヒバ」です。掌に乗るくらいの小さな鉢なんです。でも、存在感あるんですよ。ねこは苔フェチなのもありますが、ちょっぴり盆栽チックで、素朴で可愛い緑に惹かれました。(*^^*)

ずっと気になっていた名前を、昨夜ようやく調べてみました。
いまや便利な世の中で、植物の写真をスマホで撮ってアップすると、この植物はおそらく○○ですよー、みたいに教えてくれるアプリがあるんですよね。

ちなみに、ねこが使ってみたアプリ名は「PlantNet」です。
写真を撮ってアプリで検索すると、「Selaginella tamariscina」が95%と出てきました。
「Selaginella tamariscina」を検索してみると「イワヒバ」でした。o(^-^)o

イワヒバは愛好家も多く、巻柏と書いて「いわひば」と読む、「日本巻柏連合会」という会もあるみたいです。

日本巻柏連合会サイトによりますと、巻柏は江戸時代から愛好家が栽培し続けている古典園芸植物で、200種類以上の品種が登録されているのだとか。とても人気があるのですね! (*^^*)

沖縄では、沖縄本島北西部に位置する伊是名島(いぜなじま)の「伊是名城跡のイワヒバ群落」が、1958年(昭和33年)1月17日に沖縄県の天然記念物に指定されているようです。 ← あ~、ひさびさに伊是名も行きたいなぁ。

Kさんのお母様はヤンバルのある集落のノロでした。
ねこ的には不思議なご縁を感じ、大切に育てよう、という想いを一層強く持っています。

というわけで、
イワヒバにお水をあげながら、癒やされながら、今日もがんばります。o(^-^)o

本日もご愛読にふぇーでーびたん☆

うまんちゅぬ あちゃー かふー うにげーそーいびーん。
みなさまに琉球弧のすべての神々のご加護がありますように☆

辻研究コトハジメ

みなさま、こんばんは☆ (^-^)/
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奥深い辻研究(1672年創建。現在の那覇市辻)を少しずつ進めています。
お天気に恵まれた昨日のお昼は、勉強会で辻・若狭界隈をホロホロと歩きました。

けっこうな日差しのなかを歩き廻り、昼下がりにカオを出したところでは、
「今日は暑いのにずっと歩いてたの?! ねこさん焼けてますねー。カオ赤いですよ!」と言われてしまいました(苦笑)

那覇市辻にて。1694年、那覇で製塩をはじめた「塩浜親雲上芝香」の御拝領墓があったと伝えられているところです。とは言え、「10・10空襲」によって何の跡形も面影もありません。詳細は別サイトで準備しております。

何度も通っていても気付かない、知らないコトがたくさんありました。
歴史とは本当に奥が深いです。

波上宮のこと

ねこの辻調査研究の根っこは神事です。

辻のすぐそばの「波上宮」は、若狭とは言えども決して避けられません。
これまで幾度も足を運んだことのある波上宮で、昨日初めて知ったことがふたつありました。

1.波上宮の正式な入口がひっそりと残っていること。
いまは樹々に覆われて使われていないようですが、三段づくりになっていました。

2.波上宮には特別な神域があること。
「波上宮には申請許可制の特別な神域がある」というお話はチラリと聞いておりました。
ご縁があればいつかご挨拶できるだろうと思っていましたので、とくに聞いて回ったり調べたことはありませんでしたが、昨日は時節、ご縁を頂いたようで、地元研究者S氏のご案内で、初めてお参りさせて頂きました。
写真を撮ることは気持ち的に憚られたので今回は撮っていませんが、とても気持ちの良い神域でした。

辻研究を残す場、発信する場として

神事を根っこに、辻に関することを研究するにあたり、新たにサイトを立ち上げようと考えています。
サイト内に『用語集』のページがあったら良いかな~と思い、順不同で『略式口承用語集』と題したページに思いついたことを書き留め始めました。

「ヤマト」という言葉は日常的に使っていますが、「ウフヤマト」という言葉は昨日はじめて知りました。

「ヤマト」=「日本」だと思っていたのですが、少なくとも、辻の姉さんたちにとっては、そうではありませんでした。

「ヤマト」=「薩摩」、「ウフヤマト」=「日本」と明確に分けて使っておられたようです。

いまチラッと「ウフヤマト」をググってみたら、下記のような記述が見つかりました。

大和(やまと)

一般的には沖縄からみた日本本土のこと。琉球王朝時代には大和は薩摩を指し、日本全体のことをウフヤマト(大大和)と称した。中国から来た冊封使にも知られ、徐葆光『中山伝信録』に記されている。
【出典】『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月・琉球新報社発行

琉球王朝時代には、「ヤマト」と「ウフヤマト」、明確に分けていたようですね。
まだまだまだまだねこは勉強不足です。(>_<)

ただ、辻の姉さんたちがごく最近まで、「ヤマト」と「ウフヤマト」を使い分けていたというエピソード。
なんだか辻らしいなぁと思いました。

今日もご愛読にふぇーでーびる☆

うまんちゅぬ あちゃー かふー うにげーそーいびーん。
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オススメの民謡居酒屋「遊処 永楽」さん@沖縄県那覇市の栄町

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辻旧廿日正月神事を今年も無事に奉行させて頂き、ほっと一安心。
ちょっとは余裕できたかな~、と思ったのも一瞬のことで、やること一杯。アタマぐるぐる気味です(苦笑)

アタマぐるぐる~してばかりいたら大変なので、
息抜きも必要よねー。
ということで、
今日は那覇市栄町でオススメの民謡居酒屋「遊処(あしびどぅくる) 永楽(えいらく)」さんをご紹介いたします。o(^-^)o

2005年開業の「永楽」さん。
噂で聞いたことはありましたが、初めて訪れたのは割と最近です。
居酒屋さん、ライブハウス、民謡クラブ、民謡スナックなど、沖縄には民謡を聴かせてくれるお店はたっくさんあります。
そんななか、永楽さんは、七海の知っている宮古(宮古島)の居酒屋さんと重なるなぁということで親近感大!
その理由は次の3点です。

七海が栄町@沖縄県那覇市の「遊処 永楽」さんをオススメする理由

    1. 多くのお店がステージでマイク&スピーカーを通して民謡ライブをされているなか、「永楽」さんは、ステージもなくてマイクを介さない、“生の唄声と三線”だから! → ナマがいいんです♪
    2. 近所の仲間が集まったような“沖縄の暮らし”がそのままある感じが良いです。 → ゆる~いアットホームな感じがGood♪
    3. お店側とお客様側、常連さんも初めての方も、とにかく、垣根がない感じ♪ → 一見さんもお一人様も楽しめます☆

詳しくは下記記事をご覧ください。

※コロナ禍ということで、2人以上いっしょに写っている写真は掲載できず、なんだかクールな雰囲気になっていますが、実際はとても和気藹々としています。o(^-^)o

 

お店のオリジナルTシャツかと思ったら・・・(笑)

 

実は、
最近、
これまでしなかったような、
考えられないようなミスを連発している七海です ・・・。
ほんと参るなぁ。。。(>_<)
自信なくす。。。(T_T)
ところですが、、、

泣きながらでもがんばります!!

何があっても、
生きていくしかないからね。

今日もご愛読にふぇーでーびる☆
最後までお読み頂きありがとうございました。

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みなさまに琉球弧のすべての神々のご加護がありますように☆

2021年(令和3年)那覇市辻「じゅり馬まつり」中止のお知らせ

たびたびご案内しておりますが、改めてお知らせさせていただきます。

2021年(令和3年)那覇市辻「じゅり馬まつり」は(コロナ感染拡大防止策のため)中止です。

※「じゅり馬まつり」は、旧廿日正月神事(旧暦1月20日)後、毎年新暦3月最終日曜日に開催が予定されております。

昨年2020年は、辻、若狭、久米の旗頭もご参加いただく予定でとても楽しみにしておりましたが、コロナ禍で見送られました。
そして、大変残念ですが、今年も見送らざるを得ない状況との判断で、中止となりました。
来年2022年は華々しく、賑やかに開催できますよう祈っております。

うまんちゅぬ あちゃー かふー うにげーそーいびーん。
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那覇三大祭りのひとつだった昭和時代の「じゅり馬まつり」

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雨の那覇から七海(ななみ)こと「ねこ」こと、店主・ミカ(安積美加・ASAKA MIKA)です。

残念なことに、2020年に続き、コロナ感染拡大防止のため、2021年の「じゅり馬まつり」も中止となりました。

かつて「じゅり馬まつり」は、「那覇大綱挽」と「那覇ハーリー」とともに、那覇の三大祭りとして人気を博しておりました。
しかし、紆余曲折あって、現在は上江洲安明(うえず・あんめい)理事長の強い信念によって、一般財団法人辻新思会(つじしんしかい)が開催を続けております。

今日は、昭和時代の「じゅり馬まつり」がどんな立ち位置であったのかをご紹介したいと思います。


「じゅり馬まつり」は戦争で一時途絶えたものの、料亭「松乃下」の上原栄子(うえはら・えいこ)さんを中心に、辻の有志たちの熱意によって、1953年(昭和28年)3月5日に見事に復活しました。
この年は、戦禍に見舞われた波上宮の御本殿と社務所が再建されているのも、ねこ的にはご縁を感じます。

昭和62年開催「那覇旧廿日正月祭り」(じゅり馬まつり)

昭和62年に開催された「那覇旧廿日正月祭り」(じゅり馬まつり)のパンフレットには、昭和62年は2月21日(土)・22日(日)の2日間にわたっての開催されていたことが記されています。
こちらのパンフレットから一部抜粋して、当時のじゅり馬まつりがどのような位置づけであったかをお届け致します。

那覇旧廿日正月祭り
■日時 昭和62年2月21日(土)・22日(日)
■場所 那覇市辻町
●主催 那覇旧廿日正月祭り実行委員
●後援 那覇市・那覇市観光協会・那覇商工会議所
●協賛 沖縄タイムス・琉球新報・NHK沖縄放送局・琉球放送・沖縄テレビ・ラジオ沖縄・FM沖縄(順不同)


那覇旧廿日正月祭り実行委員会会長・上地敏一氏『ごあいさつ』より一部抜粋
那覇旧廿日正月祭りにおいても企業のOLや女子学生達の積極的な参加により年とともに規模を拡大し名実ともに那覇の三大祭りとして、健全な市民の祭りとして定着してきたことを皆様方ともども喜びたいと思います。これからも内外に広く楽しめる要素を開拓し、古き良きものは残し、あわせて地域社会の発展と融和をはかり内容の充実した祭りに致したいと思います。

那覇市長・親泊康晴氏『祝辞』より一部抜粋
皆様方もよく御承知のとおりこの、「那覇旧廿日正月祭」は、三百有余年の伝統と歴史をもつ由緒ある祭りで、勇壮な「那覇大綱挽」や「那覇ハーリー」に対し、優美さ華麗さを代表する那覇の名物行事であります。
・・・本祭りは、那覇市の観光資源としても貴重な財産として観光振興に大きく貢献しているところであり、市といたしましても本祭りの継承発展のため協力してゆきたいと思います。

沖縄県知事・西銘順治氏『祝辞』より一部抜粋
那覇三大祭りの一つとして、長い間市民に親しまれてきた「じゅり馬まつり」が伝統行事のより一層の発展を期して、このたび名称を「那覇旧廿日正月祭り」と一新して、地域婦人会、子供会、商店街の方々の参加のもと新春最大のイベントとして開催されるに至りましたことは誠に喜ばしい限りであります。

那覇の三大祭りとして2日間にわたり、OLさんや女学生、子供会、婦人会も参加されて、これほど盛り上がっていた「じゅり馬まつり」。

それが、まことにたいへん遺憾なことに1988年(昭和63年)のまつりを最後に、1989年(昭和64年/平成元年)以降中止に追いやられてしまいました。
中止に追い込まれた要因は、ある女性たちを中心とした団体の猛反対だったと伺っています。(団体名や女性のお名前も伺っておりますがここでは伏せておきます。)

花街・辻の創建は1672年。「じゅり馬まつり」が始まった年代は定かではありませんが、300年ほどの歴史を有するであろうと推定されています。
「じゅり」とは、祭祀をこころの拠り所として花街・辻で暮らし、“義理・人情・報恩”に生きた女性のことです。
「じゅり馬まつり」を否定することは、歴史ある伝統祭事の破壊、じゅりたちの存在を否定し無視することですから、とても、残念です。

2000年2月27日(日)、財団法人辻新思会(つじしんしかい)によって、12年振りに復活を果たした「じゅり馬まつり」。
現在は、大変強い信念をお持ちの上江洲理事長を中心に財団(辻新思会)が開催を続けています。
(ちなみに、2000年に開催されたじゅり馬まつりには約1千万!の経費がかかっていたようです。あぎじゃびよー。)

ねこ的には昭和のように、地域の方々の参加と応援、那覇市・観光協会等の後援があった頃の「じゅり馬まつり」に復興できたらなぁ、と個人的に願っています。

そのためにも、辻のねーさん(じゅり)たちのこと、辻のことを少しずつでも、もっと広く、多くの方に知っていただけたら、と思っています。

今年は少しずつ、良い方向へ動き始めていると確信しています。
去った廿日正月神事の後、20年余り辻を研究されている方と再会できましたし、現在の辻自治会長さん(女性の方です)と偶然隣席となってお話することができ、「じゅり馬まつり」を応援しますとおっしゃってくださいました。

ビンシーの文字を見つけたことをきっかけに、ねこはこの一年、辻について重点的に、真剣に調査研究しようと思っています。
辻の情報をお持ちの方はぜひお知らせ頂けましたら幸いです。

最後までお読み頂きありがとうございました。
今日もご愛読にふぇーでーびる☆

素敵な週末をお過ごしください☆o(^-^)o

うまんちゅぬ あちゃー かふー うにげーそーいびーん。
みなさまに琉球弧のすべての神々のご加護がありますように☆

辛丑2021年の那覇市「辻旧廿日正月神事」無事、奉納いたしました☆

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那覇から七海(ななみ)こと「ねこ」こと、店主・ミカ(安積美加・ASAKA MIKA)です。

おかげさまで、一昨日(2021年3月3日)、辛丑2021年の沖縄県那覇市「辻旧廿日正月神事」無事奉行いたしました☆

今年は、ムラヤー13時集合。
神事のための最終準備を手分けして行いました。

辻村に伝わるふたつのビンシー


かつて辻は、「上村渠(ウィンダカリ)」と「前村渠(メーンダカリ)」のふたつの集落から構成されていました。
その名残で、辻のムラヤーには2つのビンシー(携帯用御拝道具)が継承されています。
泡盛、花米(洗っていないお米)、アライミハナ(洗い米)を供えたふたつのビンシーを並べて一緒に御拝をいたします。
※御拝の方法やビンシーの中身は、各村、各家庭、各個人によって異なります。

ビンシーの歴史について紐解いてみると、ビンシーは「近世に考案され一般的に用いられるようになった。」(【引用】『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社)とあります。
ちなみに、「沖縄の近世」とは、「近世琉球(1609年~1879年の「琉球処分」まで)… 薩摩の武力による侵略で、「幕藩体制下の異国」として位置づけられる。」(【出典】『琉球・沖縄史』新城俊明)と、高等学校の教科書で紹介されています。

辻は、尚貞王時代の1672年、羽地朝秀によって創建されました。いまから約350年前にあたります。
上村渠と前村渠の2集落が存在していたことは確かなのですが、いつ頃できて、いつまであったのか、その辺りのはっきりとしたことは現時点では解明されていません。

辻村のふたつのビンシーは、かなり年季の入ったビンシーです。

10・10空襲( 1944年10月10日、米軍が南西諸島全域を爆撃)を受けた辻は、壊滅してしまいました。
でも、神事に使われていたビンシーは大切に抱えられ、戦火を逃れていまに継承されている。
と信じたい気持ちがねこにはあります。

那覇市「辻旧廿日正月神事」辻御拝廻り

  1. 鏡寺(カガンヌウティラ)
  2. 志良堂御嶽(シラドウウタキ)
  3. 祝女の井戸(ヌールガー)
  4. イシカブイ
  5. 軸(ジク)
  6. 辻御嶽 開祖の祠
  7. 辻開祖之墓
  8. 火の神(ヒヌカン)

詳細は下記をどうぞ。

準備が整い、14時頃ムラヤーを出発いたしました。
コロナ禍ですので、同行人数は昨年より少し控え気味です。
見学者の方も、ごくごく少数でした。

少し風が強いけれど、お天気は晴れ。
途中、日差しが強くなり、暑くなりました。
雨でなくてよかった。


辻のムラヤーから歩いて廻ります。
途中、ちょっとした階段を上る拝所もあります。
ご高齢の方は階段を上がらず、下で待っていらっしゃる方のお姿もありました。


すべて歩いてまわり、約90分ほどで神事は滞りなく奉行できました。
今年も無事に奉納させて頂き感謝です。
いっぺーにふぇーでーびたん。
これからも、お守りお導きください。


ムラヤーに戻ると、くわっちーが待っていました。

すみません。
今日は2時間しか寝てなくて、もう限界みたい。(>_<)

今日はこの辺でぐぶりーさびら(失礼いたします)。

本日もご愛読にふぇーでーびたん☆
素敵な週末をお過ごしくださいね。

うまんちゅぬ あちゃー かふー うにげーそーいびーん。
みなさまに琉球弧のすべての神々のご加護がありますように☆

 

【休業日のお知らせ】2021年3月3日(水)辻旧廿日正月神事のため休業いたします。

いつも沖縄ジョートー市場をご利用いただき誠にありがとうございます。

2021年3月3日(水)辻旧廿日正月神事のため終日休業させていただきます。

お電話・メールでのお問合せ、弊店からお客様へのご連絡・出荷業務はお休みさせて頂きます。
お急ぎのところ恐れいますが、何卒ご理解を賜りますようよろしくお願いいたします。

※ご注文はお受けしております。
コロナ禍において、ご注文をいただけることは本当にありがたいことです。
弊店ならびに沖縄の生産者さんたち、沖縄で生活している私たちの助けになっています。
心より御礼申し上げます。いっぺーにふぇーでーびる(まことにありがとうございます)。

 

辻旧廿日正月神事とは
「辻旧廿日正月神事」は、沖縄県那覇市辻におよそ300年ほど前から伝わるとされている旧暦1月20に行われる神事です。
神事では、「日頃の感謝・五穀豊穣・商売繁盛」を祈念いたしております。近年は「日頃の感謝・五穀豊穣・商売繁盛」に加え、かつて辻で暮らし「じゅり」と呼ばれていた女性たちへの鎮魂も込めて奉行いたします。

 

うまんちゅぬ あちゃー かふー うにげーそーいびーん。
みなさまに琉球弧のすべての神々のご加護がありますように☆

沖縄ジョートー市場 店主・安積美加

 

 

那覇・辻村のふたつのビンシー ~ 小さな冒険のはじまり <辻のことを真剣に調査しようと思いはじめたきっかけ>

ぐすーよー、ちゅううがなびら(みなさま、こんにちは)☆ (^-^)/
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那覇から七海(ななみ)こと「ねこ」こと、店主・ミカ(安積美加・ASAKA MIKA)です。

いよいよ来週に迫りました辻旧廿日正月神事。
今年は新暦のひな祭りにあたります。

昨日(2021年2月24日)は14時からムラヤーに集まって、神事の準備を行いました。
<辻旧廿日正月神事の準備>
・今後の予定について
・神事に必要な道具やウサギムン(お供え物)の確認
・神事の役割分担の確認
・お料理の確認
・御拝セットの準備
・拝所の確認

いつもは集合時間より早く行って、神事でまわる各拝所にご挨拶しているのですが、昨日は初めて15分ほど遅刻。
シージャ方ばかりのなか、一番下っ端のねこが遅刻してしまい恥ずかしかったー。(>_<)

辻御嶽の樹木が剪定中でした。
個人的には以前の樹々が鬱蒼とした雰囲気の方が好きだったのですが、
害虫や落ち葉、不法投棄(!)など、かなり残念な事象があるようで、致し方ないみたいです。
(信じられないことですが、御嶽に不法投棄やチリを捨てるなど、考えられないことをやってのける方たちがいるのです。本当に残念です。)

御嶽の変わり果てた風景を目の当たりにして、胸が痛かったのですが、
「良い風に考えましょう!」
とIさんが明るく言ってくださったので、少し救われました。
ほんと、ものは考えようですよね。(Iさん、ありがとうございます。)

辻村に伝わるふたつのビンシーが、辻のことを本気で調べようと思いはじめるきっかけに

ビンシーは、神事の際に用いる携帯用の御拝道具です。

辻には「上村渠(ウィンダカリ)」と「前村渠(メーンダカリ)」、ふたつの集落のビンシーが継承されています。

しかし、どちらのビンシーがどちらの集落のものか、判別がつかない状況だと聞いていました。
神事ではふたつのビンシーを並べて同時に御拝を行うのでわからなくても何とかなる、ということもあったでしょうし、
なにより、
戦争で多くの方が犠牲になり、何もかもがめちゃくちゃになってしまっていたので、うまく継承されなかったのかもしれません。

とてもよく研究された浅香怜子さんの『じゅり馬と辻村女の里(チージ)の研究』にもそのことが記されていました。
以下、浅香怜子さんの『じゅり馬と辻村女の里(チージ)の研究 第一集』(31頁)より抜粋させて頂きます。
———-
ビンシー(携帯式御願道具) 辻廿日正月祭り
大と小、二つの「ビンシー」が一緒に用いられたが、これは、かつての辻共同体に存在した二つの自治組織「上村渠(うぃんだかり)」と「前村渠(めんだかり)」の祭祀道具とされているが、それぞれどちらのものなのか、地元の当事者にも区別がつかなくなっている。
———-
浅香さんの解説には、「2006年の辻旧廿日正月祭り神事の御願廻りに使われたものである」とありますので、浅香さんが調査研究されていたであろう2006年時点ではわからなかったということでしょう。

浅香さんとはお会いしたことはありませんが、浅香さんの資料を拝見すると、いまから15年前、浅香さんがどれほど熱心に、ていねいに調査研究されていたのかがよくわかります。(浅香さんの資料は、辻に関する貴重な資料のひとつとして、ありがたく参考にさせていただいております。)

あれほど調査されて判明されなかったのだから、きっといまさらわからないだろう。
そう、思っていました。

それが、
辻に関わらせていただくようになって3度目の神事準備中のこと。
2021年2月12日(金)、初めて気づいたことがありました。

それは、
ビンシーのなかにある、ある部分の裏側(!)に小さな文字が記されていたことです。

年季の入ったビンシー、裏側に書かれた手書きの小さなひと文字。
あるところには「イ」、そして、あるところには「5」と書かれているように見えました。

まさかビンシーのなかに、そんな手書きの印があったなんて。思いもしませんでした。
なにせビンシーのなかの裏側なので、よくよくビンシーを眺める機会がないと、まったく気づきません。
が、
とある理由から、この日、ねこはビンシーをくまなくチェックしたのです。
ひっくり返してみたり、すべての部品部をていねいに確認したり、おそらく、ビンシーをくまなく、こんなに眺めたのは初めてのことだと思います。

そう、
理由がなければ、
ねこもあれほど細かくビンシーをチェックすることはなかったと思います。

手書きの文字を見つけた時は、とても驚きました。
と同時に、明るい気持ちになりました。

“いままでまったく気づかなかったことを気付かされた!”

意味もなく、村のビンシーに文字は記さないだろう。
きっと何らかの意味ある記号だはず。
きっとわかる人にはわかるはず。

ひょっとしたら、これは「調べなさい。調べてくれ」という意味なのかもしれない。

調べないといけないのかも。

いや、調べないと。

そんな気持ちに駆り立てられました。

信頼する(自身も御拝して歩いている)弟分に、ビンシーの裏に文字を見つけた経緯を含め、事細かに話をすると、
「あはー、それは“調べなさい”という意味だと思うよ」
と、同じ考えでした。

それから、ねこはひとり、県立図書館に通い詰めました。

10・10空襲を受けた辻は壊滅。辻の地形はすっかり変わっています。
ヒントを得ようと、戦前の辻の地図や、できる限りの資料を読み漁りました。
ほんのちょっぴり、謎解きしてるみたいで、ルパンだかコナンだかになったような気分でした。

※10・10空襲 ・・・ 1944年10月10日、米軍第三機動部隊空母から発進した艦載機が南西諸島全域を爆撃しました。

まず、そう簡単にはわからないだろう、と思っていたのですが、
意外なことに、まる一日、ひとり県立図書館で調べまくっていて、
「きっとこれだ!」
という自分なりの答えを導き出しました。

2021年2月19日(金)のことでした。

辻に関する書物や資料は意外とあります。

だから、
いまさらねこが調べることもないよね。
そう思い、
これまでは、すでに書かれている書籍や資料だけを読んでいました。

それが、
辻村のふたつのビンシーをきっかけに、
辻に関して、まだ知らされていないこと、知られていないことがあるのかもしれない。

確かに、ライターで取材させて頂いていてもそうだ!!

いつ、
どこで、
誰と。
どなたのお話を伺うのか。
誰がどのような質問をぶつけるのか。

取材するひと、取材されるひと、それぞれの考え方、感性、タイミングやご縁、
さまざまな要素で、取材でみえてくるものが違ってくるよね。

それに、
昨年、牛島中将を看取った苗さんも旅立たれてしまった。
(白いお骨壷には「令和2年6月7日卒 故 伊波ナベ 享年百一才」と記されていました。)
苗さんにいろいろなお話を伺いたかったのに。
コロナ禍で会えなかったのが悔やまれます。
みんないつかいなくなっちゃうんだよね。。。

ねこはねこなりの取材調査をすればいい。

そう気付かされました。

辻についてねこなりに、
自分の足と目と耳と手とアタマと感性と、
すべてを使って、真剣に調べてみよう。

その決意とともに、辻の各拝所にご挨拶しました。

「ご縁あって辻に関わらせて頂いております。
これから辻のことを真剣に調査研究していきたいと思います。
会うべきひと、会うべきもの、会うべきこと、会うべき場所へ、どうぞお導き、お守りください」

と。

 

 

そして、昨日(2021年2月24日)。

神事準備のあと、運良く、新思会(一般財団法人辻新思会)の上江洲安明理事長にお会いできたので、
辻村のビンシーについて、自分の謎解きを地図とともに説明し、理事長のご意見を伺いました。

「うん、うん。そうだね。私もそうだと思うよ。
独学でよく調べたね」

理事長の同意も得られてよかった。ほっと一安心。

そして、昨日ムラヤーにお集まりになったシージャ方にお話したように、
理事長にも自分の想いを伝えました。

「これから辻についていろんな方にお話を伺い、自分なりにいろいろと調べたいと思います。
なにかの際はご協力お願いいたします。
まずは、社長(理事長のことです)のお話もたくさん聞かせてください」

すると、理事長は
「うん、うん。それはすごくいいことですね。
おおいにやりなさい。応援しますよ。
私のところにはいつでも聞きにきていいからね。
知っていることは何でも話すから」
と笑顔でやさしく頷いてくださいました。

とまぁ、「辻を調べよう!」というねこの小さな冒険がはじまりました。

ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、辻は、特別なところでした。

かつて、辻で暮らす女性は「じゅり」と呼ばれていました。
しかし、すべてのじゅりは唐(グソー=あの世)へ旅立たれ、「いまはもう誰もいない」と伺っています。

辻に関する取材は容易ではないかもしれません。

何ができるかわかりませんが、せっかくご縁をいただき、そう遠くはないところに暮らしていますから、
少しずつ、文献を調べることと並行して、いろいろな方に尋ねて歩いてみようと思っています。

まずは、今年も無事に神事を奉行できますように。

長くなりましたが、本日はねこの辻旅のプロローグを綴りました。
ビンシーの謎解きの答えは、またどこかで。

※2021年の「じゅり馬まつり」について
残念ながら今年もコロナの影響により、「じゅり馬まつり」は中止せざるを得ない状況です。
来年には、華々しく賑やかに開催できますように。。。

今日もご愛読にふぇーでーびる☆

うまんちゅぬ あちゃー かふー うにげーそーいびーん。
みなさまに琉球弧のすべての神々のご加護がありますように☆

 

沖縄を代表する教訓歌(沖縄民謡)に登場する「てぃんさぐぬ花」@那覇市

ぐすーよー、ちゅううがなびら(みなさま、こんにちは)☆ (^-^)/
本日も沖縄ジョートー市場店主ブログへお越しいただきありがとうございます♪
&いつも沖縄ジョートー市場をご愛顧いただき、まことにありがとうございます☆
那覇から七海(ななみ)こと「ねこ」こと、店主・ミカ(安積美加・ASAKA MIKA)です。

ここ数日、那覇は快晴続き♪ 気持ちの良い日が続いています(^-^)/
去った木曜の夜から旦那が実家に帰っているので、寂しくひとり。
島に行こうかなぁとも思いつつ、辻廿日正月神事に向けて確認したいこともあって、けっきょく毎日、ゆいレールで旭橋にある県立図書館へ調べ物に行っていました。

さて表題です。
本日は、「てぃんさぐぬ花」をご紹介いたします。

沖縄を代表する教訓歌「てぃんさぐぬ花」は、やさしい旋律が美しい沖縄民謡です。
「てぃんさぐ」とは「ホウセンカ」のこと。
むかしの子どもたちは、沖縄でも本土でも、ホウセンカの花をマニキュアのように爪に塗って遊んでいたようです。


「てぃんさぐぬ花」

てぃんさぐぬ花や 爪先に染みてぃ 親ぬ諭し事や 肝に染みり

<うちなーグチ> てぃんさぐぬはなや チミサチにすみてぃ ウヤぬユシグトゥヤ チムにすみり
<大意> ほうせんかの花(鳳仙花)は爪に染めるけれど、親の言葉(教え)は心に染めなさい

天ぬ群星や 読みば読まりしが 親ぬ諭し事や 読みやならん
<大意> 天の群星は数えようと思えば数えることができるけれど、親の言葉(教え)は数えることができません

夜走らす船や 子ぬ方星目あてぃ 我ん産ちぇる親や 我んどぅ目あてぃ
<大意> 夜を走る船は北極星を頼りに航行するけれど、私を産んでくれた親はずっと私を見守ってくれている

店主・安積美加はかつて、沖縄観光情報サイトの先駆けであるJTA(日本トランスオーシャン航空)提供『美ら島物語』で、沖縄県内島々に伝わる「しまうた」(民謡)について連載させて頂いておりました。
連載中、島々の唄者さんたちとの出会い、ご縁をいただき、しまうた連載を担当させていただいたことは、こころから感謝に尽きず、一生の宝物です。

「てぃんさぐぬ花」は第2回目にお届けいたしました。
サイトには、「2011.02.28 掲載」とありますので、ちょうど10年前になります。

第2回の思い出のひとつが、取材中、“てぃんさぐぬ花になかなか出会えなかった”ことです。

“これほど親しまれている教訓歌にまでなっているのだから、てぃんさぐぬ花はたやすく見つかるだろう”
と思い、記事のなかでホウセンカの花の写真を掲載したいと考えたのです。
が、聞けど探せど、ホウセンカの花、てぃんさぐぬ花はなかなか見つかりませんでした。
当時、かなり探し回ったと記憶しています。

記事のなかで、

「多くのウチナンチューが『てぃんさぐぬ花をすっかり見かけなくなった』と話していることをお伝えすると
『忙しさのなかでてぃんさぐぬ花がないことすら気付かない自分たち。
今回のてぃんさぐぬ花は、島の人が忘れかけているものを思い出すチャンスだと思います。』」

というくだりがあるのですが、事実、てぃんさぐぬ花は、むかしより見掛けなくなっていたのでした。

てぃんさぐぬ花の群生。沖縄県那覇市金城「がじゃんびら公園」付近にて。【2021年2月撮影】

あれから10年近くが経ったある日、今度はフーチバー(ヨモギ)を探し回っているときに、偶然、てぃんさぐぬ花の群生をみつけました。

てぃんさぐぬ花(ホウセンカの花)の群生を見つけたのは、那覇市金城(かなぐすく)にある「がじゃんびら公園」です。

正直、後にも先にも、これほどてぃんさぐぬ花(ホウセンカ)が生い茂っている場所をみたことがありません。

てぃんさぐぬ花の群生を発見したときは、かつて取材中にてぃんさぐぬ花を探し回っていたことを思い起こしつつ、明るい気持ちと嬉しさがこみ上げて来ました。

沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」の花に登場するてぃんさぐ(ホウセンカ)ぬ花。1ヶ所に赤紫、朱色、白、三色ものてぃんさぐぬ花が咲いていました。【沖縄県那覇市金城「がじゃんびら公園」付近にて。2021年2月撮影】

取材中に伺ったエピソードのなかに、

「おばぁが住んでいる屋敷にはてぃんさぐぬ花が必ずと言っていいほどありましたが、いま思えば、孫たちが遊ぶためにおばぁが草取りをしたり手入れをしていたのかもしれません。」

とおっしゃった方がいらっしゃいました。

てぃんさぐぬ花を眺めていると、ふと、
“てぃんさぐぬ花をみると、沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」が思い起こされ、やさしい気持ちになれるのかもなぁ”
という思いに至りました。

がじゃんびら公園に咲いているてぃんさぐぬ花の群生。

ひょっとしたらこの群生のはじまりは、

“めっきり見掛けなくなったてぃんさぐぬ花を見ていただいて和んでもらう。

教訓歌「てぃんさぐぬ花」を思い出してもらえたらいいな。”

と、こころ豊かな方が、一株のてぃんさぐぬ花を植えたことが始まりなのかもしれません。

沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」をご紹介しております『恋ししまうたの風』第2回「てぃんさぐぬ花」では、「てぃんさぐぬ花」に纏わるみなさんの心あたたまる素敵なエピソードもご紹介しております。ぜひご覧ください。

今日もご愛読にふぇーでーびる☆

うまんちゅぬ あちゃー かふー うにげーそーいびーん。
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那覇市松山のあぐーしゃぶしゃぶ超有名人気店「食彩酒房まつもと」さん新ビルへ行ってきました♪

ちゅううがなびら(こんにちは)☆ (^-^)/
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少し時間が空いてしまいましたが、2021年2月6日(土)に訪れました
那覇市松山のあぐーしゃぶしゃぶ超有名人気店「食彩酒房まつもと」さんレポートです。

約12年前の「まつもと」さん回想

今回、夫婦で約12年振りに訪れました「まつもと」さん。
とにかく、その頃もとても人気があったことは覚えています。
当時はガラケーで、いまのように(スマホで)何でもかんでも写真を撮る習慣はなく、当時「まつもと」さんへ訪れたときの写真は一枚もありません。

訪れたときはまだ本店だけでした。
確かテーブル席が2つのカウンター9席だったかな。
ねこたちはカウンターに座りました。

女将さんと男性がいらして、食事が終わると、男性が嬉しそうに、
「うちにはこんなにいっぱい芸能人が来てくれるんですよ!」
とアルバムを見せてくださったのが印象に残っています。

あと、カウンターの一番奥に、額に入った「JAおきなわ 沖縄あぐー」の証明書が掲げられていました。
証明書に記載されていた生産者さんが弊店で扱わせて頂いている生産者さんとまったく同じで、
「あ、うちと同じあぐーを扱っておられるんだ!」
と、鮮明に記憶しています。

あれから、10数年。

飛ぶ鳥を落とす勢いの「まつもと」さんは2号店、3号店とオープン。
そして、昨年には、本店の向かいにビルまで新築。
すごいなぁ! とただただ感心しておりました。

しかし、コロナ禍の昨年完成したはずの新ビルになってからの情報は、ネットではほとんど入ってきませんでした。
ので、思い切って行ってみることに。

新ビルオープンの「まつもと」さんを予約してみる

予約取れないかもなぁと思いつつ、前日に予約の問い合わせ電話をしてみました。
(ちょっぴりドキドキw)

コロナ禍の時短営業要請中の今回、「まつもと」さんへ予約してみてわかったこと。

  • 2時間制
  • 17時オープン
  • この時点での最終案内は19時
  • 2名の場合はカウンター席に
  • 旧本店の向かいの新ビルになっています
  • 予約当日に最終確認が電話とSMSできます

いざ! あぐーしゃぶしゃぶの超有名人気店「まつもと」さんへ

左側のビルの1階に旧本店が入っていました。右手の大きなビルが新ビル。新ビルの1階は駐車場です。新ビルの前にはお店のエプロンを着けた男性がいらして案内されました。

 

旧本店のドアには、新店舗へのご案内が貼られていました。

1階は駐車場となっている新ビル。
表の男性に案内されて、エレベーターで2階へ。
思った以上に大きくて立派なビルです。

18時でしたが、テーブル席とカウンター席、ともにほぼ満席。さすがです。

あらかじめ、2名はカウンターと伺っていましたので、カウンターへ。
カウンターには、おひとりでご来店されている男性の姿もありました。

ビールの価格、確認を失念。たぶん相場価格だったと思います。

まずはオリオン・ビールで乾杯♪


あぐーしゃぶしゃぶを待っている間に、「海ぶどう」と「もずく」が登場。

こちらの海ぶどうは、久米島の天然モノだそう。
形状の違いですぐにわかりましたが、天然物の海ぶどうは沖縄でもけっこう珍しいです。
ちなみに、養殖の海ぶどうは粒がきれいな丸が多いのですが(弊店のお取引先の養殖場の話ですけど)、久米島の天然物は涙型の粒でした。
歯ごたえも違って、天然物の方が弾力がありました。

別注の「島らっきょう」(500円)。価格が税込か税別かの確認を失念しましたが、あぐーに島らっきょうを巻いていただくと美味しいのでオススメです。ぜひご注文ください。

那覇のあぐーしゃぶしゃぶ超有名人気店「まつもと」さんのあぐー豚

じゃーん!
ハンダマが添えられて、「あぐー」の登場です!!

「まつもと」さんでは、オリジナルの甘めのポン酢でいただきます。

  • オリジナルの甘めのポン酢
  • シークワーサーこしょう(「赤マルソウ」さんのもの)
  • オリジナルの辛味噌(コチュジャンみたいな感じ)
  • 刻みネギ
  • もみじおろし

※シークァーサーこしょうはamazonで購入できます。

 

最初にお店のスタッフさんがしゃぶしゃぶしてくださり、食べ方をレクチャーしてくださいました。

<まつもと流のあぐーしゃぶしゃぶの頂き方>

  • オリジナルのポン酢だけで
  • シークワーサーこしょうだけで
  • 辛味噌だけで
  • シークワーサーこしょうをつけてポン酢で
  • シークワーサーこしょうに島らっきょうを巻いてポン酢で ← 一番好きでした♪(島らっきょうは別注です)

などなど。

 

あぐーは思ったほど薄くスライスされていないのですが、しゃぶしゃぶしてみると薄く感じるから不思議です。

 

結論から言いますが、

「まつもと」さんのあぐーしゃぶしゃぶ、おいしいです!!

正直、思った以上に美味しかった。
甘めのオリジナルポン酢があぐーにとても合っています。
旦那とふたりして言ったのが、、、

「12年前に食べたときより、グレードアップしてるんじゃない?!
以前より美味しく感じる」

です。

ふつう、思い出って美化されがちですよね。
その思い出より美味しいってことは、間違いなく、さらに美味しくなっていると確信できます。

後に、そのことを裏付けるお話も聞けました。

別注の島らっきょうを巻いて。シークァーサーこしょうといっしょにポン酢で頂きましたが、この食べ方が一番おいしく感じました。

お鍋には、あぐーのほか、白菜、しいたけ、えのき茸、白ネギ、珍しいところで大根。
最後にスタッフさんがあぐーをしゃぶしゃぶしてから水菜を巻いてくださいました♪


おうちで豚しゃぶだと、いつもシメはおうどんか沖縄そば。とにかく麺類だったので、おじやは新鮮です。

おじやと一緒に提供されたのが「久米島島唐辛子」。辛くておいしかったです。こちら、amazonで購入可能でした。

シメの卵入りのおじや、塩加減も絶妙で、とても美味しかったです。(^-^)

「まつもと」さん、本当に以前よりさらに美味しくなったのか?! 理由が明らかに

カウンターで七海たちにしゃぶしゃぶしてくださった明るくて感じ良いネーネー。
こちらのネーネーのおかげで、さらにおいしく感じたのかな、とも思いましたが、本当に12年前に食べたときより美味く感じる。

ふつうは、たいてい過去の、思い出の方が美化されているもので、過去よりうまいと感じるのは、間違いなく以前より美味しくなっているのだと思う。
こんなに有名になっても胡座をかくことなく、企業努力されている。すごいなぁと感心。

「実は12年振りくらいに来たんですよ」とネーネーに話すと、9年ほど前に代替わりして、オーナーが変わったとのこと。
ネーネーが現オーナーのグシケンさんを呼んでくださり、少しお話を伺うことができました。

初めて「あぐーしゃぶしゃぶ」がいただける飲食店として「まつもと」さんがオープン

いまでは沖縄県内どこでも楽しめるあぐーしゃぶしゃぶ。
ですが、20年ほど前はぜんぜんメジャーじゃなかったんですよね。

いまから20年近く前のこと、松山交差点のすぐ近くのビルの2階に「たんや」というプロ野球選手が訪れることで有名な飲食店があり、(記憶がうろ覚えなのですが、確か数日前までに予約)限定で、「あぐーしゃぶしゃぶ」をご提供されていました。
あぐーしゃぶしゃぶは評判となり、あぐーしゃぶしゃぶ考案者の女性が独立したと噂に聞きました。

この独立された女性が創業されたのが、初めて「あぐーしゃぶしゃぶ」を専門に楽しめる飲食店「まつもと」さんだということを現オーナーにお聞きしました。

「まつもと」さんは9年ほど前にオーナーが交代

「そろそろ体力的にも厳しいし、バトンタッチしたい」と先代(女将さん)が、現オーナーのグシケンさんにご相談。
現オーナーいわく、「たんやの頃から先代を応援していました。自腹でモニターやってたくらいです。ずっといろいろと相談に乗ってきました」とのこと。
先代女将が、「グシケンさんになら譲る。グシケンさんにしか譲らない」となって、9年ほど前にバトンタッチ。
現オーナーさんは、先代にとても信頼されていたことが伺えました。

「中身は変わっていませんか?」と伺ってみたところ、

すべてグレードアップしていますよ。
思い出の味は美化されるものだから、変わらないものを提供してたら先代の方が美味しかったと言われるもの。
だから、引き継いでから常に工夫し続けてきました。」

「やっぱりむかしよりグレードアップしてたんだね!」と夫婦で納得しました。

那覇市松山のあぐーしゃぶしゃぶ超有名人気店「食彩酒房まつもと」お会計

明細をいただかなかったので、消費税(込か別か)やチャージ、サービス料などはちょっとわかりませんが、注文内容は下記です。かなりおなかいっぱいになりました。

  • あぐー一人前(200g)5,500円×2人前
  • オリオン生×2杯 ← 価格のチェック忘れました
  • 伊江島産 島らっきょう 500円 ← 良心的な価格です。
  • 泡盛 琉球王朝(30度 3年古酒)1合 1,500円
  • 泡盛 五頭馬(43度 10年古酒)1合 2,000円 ← 初めてみた古酒でした。
  • 与儀さん手作りの古式豆腐よう 1個 800円 ← 美味しかったです。

〒900-0032
沖縄県那覇市松山1-10-1
食彩酒房まつもと
TEL:098-861-1890

まつもとで

「まつもと」さんにて。与儀さん手作りの古式豆腐よう。豆腐ようと古酒は最高のコンビです♪

那覇市松山のあぐーしゃぶしゃぶ超有名人気店「食彩酒房まつもと」まとめ

  • ぜひご予約ください。
  • 島らっきょうはぜひ別途オーダーされてください。
  • むかしより美味しくなっていると感じられます。
  • オリジナルのポン酢が決めてかも。
  • おじや、とても美味しかったです。
  • あぐー肉を追加しなくても、かなりおなかいっぱいになります。
  • 「美味しかったし、スタッフの方も感じ良かったし、また行ってもよいかもねー」と思いました。(^-^)/
スマホで撮ったのですが、光量が足らず。。。  「まつもと」さんのあぐーしゃぶしゃぶ用の豚肉あぐーです。

いずれもスマホで撮影したのですが、、、
光量が足りず、美味しそうに写せなかったことが悔やまれます。ごめんなさい。

「あぐーしゃぶしゃぶ」は、弊店にてお取り寄せしておうちでも楽しめますが、
また「まつもと」さん、食べに行こうかな♪  (^-^)

沖縄グルメ「あぐーしゃぶしゃぶ」お取り寄せ

JAおきなわ「沖縄あぐーしゃぶしゃぶ」のお取り寄せはこちらです♪ (^-^)/

今日もご愛読にふぇーでーびる☆

うまんちゅぬ あちゃー かふー うにげーそーいびーん。
みなさまに琉球弧のすべての神々のご加護がありますように☆