あぁ、ニューヨーク。30年ほど前の一人旅の思い出

古い雑誌を片付けていて、ふと手にとった機内誌。
巻頭の「ニューヨーク特集」を開いた瞬間、むかしの記憶が鮮明に蘇ってきた。

機内誌のニューヨーク特集ページ

若い頃の私は、日本国内も海外も一人でよく旅をしていた。

当時の旅は、その日の宿を自分の足で歩いて探すスタイル。
お金はなかったけれど、時間と体力、そして好奇心は大いにあった。
行き当たりばったりの、至極自由な貧乏ひとり旅だ。

今から30年ほど前。
一人旅でニューヨークには2回訪れた。

2回ともハーレムにあるドミトリー(相部屋)で2週間ほど過ごした。
当時、1泊20~25ドルほどの破格の宿。
駅から近く、女性専用ルームがあり、セキュリティやキッチンも整っていた。
2回目の訪問時には、愛想の良いスタッフが「前に来たよね!」と覚えていてくれたのが嬉しかった。

近くのチャイニーズ弁当屋さんの開店を、宿の窓から楽しみにして待っていた。お弁当は4~6ドルほどで安くて美味しかった。
ストリートのホットドッグが50セントで買えた時代だ。今の物価からは想像もつかない。

地元のニューヨーカーに「145丁目のドミトリーに泊まってる」と話すと、「Oh, my god! そこどこかわかってるの!? ハーレムだよ!!」と本気で驚かれた。
「駅にはいつもパトカーがいるから安心だよ」と返したら呆れられたが、当時の145丁目はかなり危険視されていた場所だったらしい。

けれど、広い歩道に椅子を出して気ままに過ごすお年寄りや、大音量のラジカセを担いで笑顔で踊る若者たち、いつも楽しげにたむろしている人々。そこには、おおらかで自由な空気が漂っていた。

一度だけ、夜に若い男性ふたりに追いかけられて全力で逃げたことがある。
追いつかれて覚悟を決めた私に、彼らは「あんた日本人か? 俺の腕に『I am a man』と日本語でタトゥーを彫ってくれ!」と言ってきた。
「彫師じゃないから無理」と断ると、若者たちはなんとも残念そうに帰っていった。
「私は人間です」なのか「私は男です」なのか、結局正解はわからないけれど、今思えばクスッと笑える思い出だ。

何より最高だったのは、ドミトリーから歩いて行けたハーレムの小さなライブハウス。
ダウンタウンの洗練されたお店よりも、ずっと刺激的で面白かった。
うなぎの寝床のような細長く薄暗い店内に、飛び入りなのか、時間とともにプレイヤーがどんどん増えていって、小さなステージからあふれんばかりのミュージシャンが演奏を繰り広げる。
胸が躍るようなエキサイティングな夜だった。

ニューヨークは、訪れる人の好みがはっきり分かれる街でもあった。
1泊して「つまらない」とすぐ去っていく人もいれば、一瞬で魅了されて「ここに住む!」と部屋を借りてくる人もいた。
そういえば、宿で出会った関西の女の子は、ゴスペルを聞きに教会へ出かけた。
帰ってくるなり、「西成の方がおもろかったわ〜」とのたまっていて、思わず爆笑したな。

英語がろくに話せず「もっと喋れよ!」と若者たちに言われたこと。
ブルーノートに電話したらあっさり切られたこと。
プラザホテルのオイスターバーで味わった楽しい時間。
すべてが鮮烈で、最高に楽しかった。

けれど、
当時の写真は一枚もない。

カメラを持たずに旅をしていたからだ。

写真を撮ることに夢中になるよりも、
今この目に、
この胸に、
光景を焼き付けたかったから…。

機内誌のニューヨーク特集ページ

あれから30年。

機内誌を眺めながら、
「生きているうちに、もう一度あの街へ行く機会があるのだろうか」
と考えていたら、ふと切ない気持ちになった。

今の私は、刺激的な街よりも国内の温泉宿にこもりたいと思うような年齢だ。

体力が必要な刺激的な旅は、やっぱり若いうちにしておくべきなのだろう。
あの頃、思い切って飛び出して本当に良かった。

自分の旅の話を表立って綴ったことはなかったけれど、
こうして昔の記憶をたどるのは、思いのほか味わい深いものだね。

これから旅のスタイルは違えども、
動けるうちは、
旅をしていたい。


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