2020年の夏は農薬未使用「やんばるミニマンゴー」

沖縄ジョートー市場 初登場!

となるかもです。

現在、やんばるの農薬未使用のミニマンゴー農家さんと調整中です。
「やんばる(山原)」とは自然豊かな沖縄本島北部のことです。

やんばるの農家さんいわく

「この一年間、マンゴーの樹といっしょに生活してきました。
もう愛着がありすぎて、ありすぎて。
昨日の収穫で食べてみたところ、今まで食べたマンゴーのなかで一番おいしくて感動しています。
無農薬なので、皮ごと食べられますよ。
自信を持っておすすめします。」

とのことです。

自信をもってオススメされる農薬未使用のやんばるミニマンゴー。
明後日、やんばるのマンゴーハウスに取材に行ってまいります!!

乞うご期待くださいませ。(^-^)/

沖縄ジョートー市場
店主・安積美加

「料亭那覇」ランチ営業はじめました☆


那覇市辻の「料亭那覇」さんが、2020年6月17日からランチ営業を始められました☆

ランチ営業 11:30~14:00
年中無休だそうです。

料亭那覇
電話/098-868-5577(年中無休/10:00~20:00まで受付)
住所/沖縄県那覇市辻2-2-11
・駐車場あります。

下記は『沖縄CLIP』で綴っております店主の記事です。ご覧いただけましたら☆ (^-^)/
沖縄を代表する老舗料亭「料亭那覇」の魅力

那覇市にある辻(つじ)は、琉球王国・第二尚氏王統11代尚貞王(しょうていおう)の時代から花街として270年あまりの歴史を有しています。
「料亭松之下」、「料亭左馬(さま)」、「料亭那覇」は、かつて、那覇の三大料亭と呼ばれていたそうです。
しかし、栄枯盛衰。
時代は流れ、現在も営業されているのは唯一「料亭那覇」のみとなりました。
料亭の雰囲気をスーミーされるにはランチは良い機会かも♪ です。

新鮮な県産マグロなんだと思います。
マグロが入ったときは、「マグロ丼」、「マグロのにぎり」、「マグロのお刺身」の定食があるようです。

「マグロ丼」のボリュームがすごくて食べきれなくて、残りを持ち帰りさせて頂きました。
沖縄の食事処は、だいたい持ち帰りOKなんですよ。o(^-^)o

 

本日もご愛読にふぇーでーびたん☆
うまんちゅぬ あちゃー かふー うにげーそーいびーん。
みなさまに琉球弧のすべての神々のご加護がありますように☆

 

ひとは会えるときに会っておかないとね

ぐすーよー、ちゅううがなびら(みなさま、こんにちは)!
本日も沖縄ジョートー市場ブログへお越しいただきありがとうございます♪ (^-^)/
&いつも沖縄ジョートー市場をご愛顧いただき、まことにありがとうございます☆
梅雨明け、夏空快晴の那覇から、七海(ななみ)こと「ねこ」こと店主・ミカです。

那覇空港方面の空です♪

昨日、梅雨明けした沖縄。

「海の青さ~に~♪ 空の青~♪」

と、「芭蕉布」(作詞・吉川安一/作曲・普久原恒男)の歌詞が思い浮かぶような青空です。

昨日から阿嘉島へ行く予定でしたが、昨日早朝、島から連絡が入り、島行きは延期になりました。
島に行くときは、BBQ用のお肉などモロモロの食材を買い出しして持っていくのが恒例。
島で海を眺めながら食べるはずだったお肉があるので、今日は夕方から近場の海辺で軽くBBQをしようかなと思っています。


昨日ブログを綴っていたのですが、ちょっと長い、淋しい内容になってしまったので、気持ちを切り替えて、いま書いています。
まったく個人的なことだし、店主ブログの内容に相応しいかはビミョーですが、自身の備忘録、どぅーちゅいむにー(ひとりごと)として綴ります。

※すみません。書き綴ってみたら、けっきょく、少しさみしい、かなしい内容になってしまいました。
以下、楽しい内容、有意義な内容ではありませんので、「それでもいいよ」という方だけ続きをどうぞ。m(_ _)m

この1週間で立て続けに、ふたりもグソーに旅立ってしまいました。
コロナ禍で会うことを控えていたり、 そのうちに、 と思っていたら、 突然会えなくなってしまいました。

ひとりは、阿嘉島のおばぁです。
たぶん87歳くらい。

阿嘉島は、沖縄戦で米軍が最初に上陸した島。
「戦争のことは思い出したくない」と多くは語らなかったし、聞けなかった。

「みんなで山のなかへ必死で逃げたよ」
戦火をくぐり抜けてきたおばぁが、遠い目で、そうつぶやいたのが印象に残っています。

よく笑うユンタク(おしゃべり)好きなおばぁでした。
島でいっしょに高校野球を観ていたら、「てーげーいい試合しているさぁ!」って、大きな声で、おばぁ言ったね。

親族だけでお送りするそうですので、ねこはこころでお見送りしますね。
おばぁ、ありがとうね。
グソーでおじぃたちと仲良くね。


もうひとりは、伊波苗子さんというおばぁちゃま。
105歳と聞いています。

「苗さんは、沖縄戦で牛島中将の最期を看取った方ですよ」

昨年、辻廿日正月神事を通して、苗さんのことを知ることができました。
苗さんのことを教えてくださったKさんといっしょに、2回だけ、辻の施設にいらっしゃる苗さんにお会いすることが叶いました。

何度かお会いしてから、牛島中将のこと、沖縄戦のこと、辻のこと、神事のことetc…、苗さんの人生をゆっくりお伺いできたらなぁと思っていました。

それが、去った日曜日、
「悲しいお知らせです。ミカさんいつも気にされていたし、苗さんにお会いしているからお知らせだけしようと思って・・・」
とKさんから、「苗さんが亡くなった」とご連絡をいただきました。

「喪主はおらず、お通夜も告別式もなく、火葬場でお見送りされるようです」とのこと。
2回しかお会いしていないけれどいいのかな・・・と、少し迷いましたが、
「ご縁あって苗さんと知り合えて、実際にお会いすることができたのだから」
と思い、Kさんたちと一緒に苗さんをお見送りさせていただこうと決めました。

2020年6月9日(火)。
どんな方が、何人くらいいらっしゃるのかも見当のつかないまま、Fさんのクルマで、いなんせ(正式には「いなんせ斎苑」という名称の公営斎場)へ、Kさん、Aさん、Fさん、ねこの4名で向かいました。
少し風の強いくもり空でした。

お見送りに集まったのは、苗さんが入居されていた施設の代表らしき男性と、Oさん、Sさん、そしてねこたち4名の計7名でした。

いなんせの電光掲示板には(名称はうろ覚えですが、確か)「火入 12:45 伊波ナベ様」「収骨 14:35 伊波ナベ様」というスケジュールが映し出されていました。

斎場係員の方の案内で、苗さんが眠るお棺のある場所に通されました。
お棺に眠るお顔が少し左向きになっていたので、右側にいたねこからははっきりとは見えませんでしたが、苗さんは安らかなお顔をされていました。
お棺には、苗さんが好きだったというアロエ、「靖国神社」と書かれた小箱、牛島中将の写真が添えられていました。

詳細はわかりませんが、辻の暮らし、沖縄戦、牛島中将との出会いと別れ・・・。
時代も時代、沖縄という地で、100歳を超える苗さんの人生は計り知れないほど壮絶だったのでしょうが、安らかなお顔でした。

むかし苗さんとご近所だったというSさんが、声をかけてくださいました。
「苗さんは、本当の、実のおばぁちゃんみたいなものなんです。
ふたりだけで見送るのかなぁと思っていたので、みなさんが来てくださって心強いです。
ありがとうございます」。

あぁ、来てよかったんだ。
そう、思えたありがたいお言葉でした。

14時半。
収骨室には、施設の方の姿はなく、6名でふたたび対面した苗さんは、お骨だけになっていました。
先ほどまで確かに人の姿だったのに、わずか2時間足らずで、まったく別の姿になってしまった。
人生の儚さ、切なさ・・・、いろいろな想いが駆けめぐりました。

骨壷には、「令和2年6月7日卒 故 伊波ナベ 享年百一才」と記されています。

「本当は苗さんなのにね」とKさんが言いました。
「年齢も本人は105才と言っていましたよ」とOさん。
戦時下では、役場への届け出も、役場の書類も、どこまで正確なのかわからない、と聞きますが、まさにそれが体現されているようでした。

「このあとは那覇市役所の方とご相談になりますので、今日はここで」と斎場係員の方。
苗さんの納骨先は役場とのご相談によって決まるようです。

別室には入りきれないほど大勢の方が集まっていました。

苗さん、もっともっとたくさんお話を伺いたかったです。
みんなで見送れてよかったよね。苗さん。
グソーで牛島中将と再会されたらどんな話をされるのかなぁ。ねぇ、苗さん。

いなんせを出ると、待っていたかのように、鈍色の空から雨粒が落ちてきました。

1週間とあけず、沖縄戦を知るふたりのおばぁが旅立ちました。
阿嘉島のおばぁも、苗さんも、おふたりともご高齢のおばぁなので、天命を全うされたんだと思っています。

やすらかに。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ステキな週末をお過ごしくださいね。

うまんちゅぬ あちゃー かふー うにげーそーいびーん。
みなさまに琉球弧のすべての神々のご加護がありますように☆

2020年 夏到来! ~ 沖縄梅雨明け 

沖縄

梅雨明けしましたー!\(^o^)/

那覇空港方面を望む。先ほど撮影(2020年6月12日(金) 12:18 )

 

沖縄気象台は午前11時、「沖縄地方が梅雨明けしたとみられる」と発表しました。
平年の6月23日頃より11日早く、 昨年(7月10日)より28日早い梅雨明けです。

そういえば、昨年の7月アタマは雨ばっかりだった気がします。
コロナ禍で大変な2020年、今年はどんな夏になりますやら。
たいへんな時期ですが、みなさま、楽しく笑顔で過ごせますように。

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フーチバー(よもぎ)の奥深さよ!

ちゅううがなびら(こんにちは)。
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お天気が崩れる予報はことごとくハズレて、ここ数日、夏日が続いています那覇から、七海(ななみ)こと「ねこ」こと店主・ミカです。


沖縄ジョートー市場では、期間限定・数量限定で、常温保存可能なレトルトパウチの沖縄の「やぎ汁」を扱わせていただくことになりました。(※現在準備中です。準備が整いますまで、いましばしお待ちねがいます。)

いま、「やぎ汁」の紹介記事を作成しているところなのですが、、、やぎ汁には、フーチバー(よもぎ)が欠かせません。と思っていますので、フーチバーについても少し綴ろうと思い、調べ始めたら、
フーチバー、思った以上に奥深い!!
です。

「よもぎ餅」など、子どもの頃から身近な薬草として親しまれているヨモギ。

『徳島県立博物館ニュースNo.6 1992年4月発行』(【出典】『徳島県立博物館 植物担当学芸員 小川 誠』)によりますと、

「ヨモギは、ヨモギ属(Artemisia)に属するキク科の植物で、ヨモギ属は日本には30種類、世界では300種類以上もある」そうです。

(ひとくちで、「ヨモギ」、「よもぎ」と言っても、これほど種類があったとは。あぎじゃびよー。)

ここで沖縄のヨモギです。
やぎ汁やジューシーによく使われている「フーチバー(沖縄方言)」と呼ばれるヨモギは、「ニシヨモギ」という種類です。
内地のヨモギと比べてみると、ニシヨモギは苦味もアクも控えめで、食感もやわらかに感じます。
とくに新芽の葉はやわらか、軽やかで、成長して大きくなった葉よりも日持ちが良い新芽は、生命力にあふれているなぁと感じました。

これまで深く考えたこともなかったのですが、沖縄のヨモギ「フーチバー」について調べていくと、いま調べただけでも、沖縄には4種類のヨモギがあることがわかりました。

沖縄の代表的な薬草
・ニシヨモギ <方言名:フーチバー>
・リュウキュウヨモギ <方言名:ハママーチ、インチングサ>
・カワラヨモギ
・オトコヨモギ
・バンジロウ <方言名:バンシルー>
・ボタンボウフウ <方言名:チョーミーグサ、サクナ>
(【出典】『沖縄県工業技術センター研究報告書 第6号 2004年』

『沖縄県工業技術センター研究報告書 第6号 2004年』から、沖縄の代表的な薬草として6つの薬草が挙げられていました。うち4種類はヨモギなのです。

調べればもっとあるかもしれませんが、いま時点わかっただけでも、
沖縄の代表的なヨモギとして4種類もあったなんて、、、。
初めて知った次第です。m(_ _)m

書くこと、伝えること、届けること、
ほんと、七海自身、とても勉強になります。m(_ _)m

もう少し、沖縄のヨモギについて調べてみたいなぁと思いました。

ということで、今日はこの辺りでぐぶりーさびら(失礼いたします)。
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てぃんさぐぬ花 @ 沖縄県那覇市「がじゃんびら公園」

ちゅううがなびら(こんにちは)。
本日も沖縄ジョートー市場ブログへお越しいただきありがとうございます♪ (^-^)/
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本日立て続けの投稿になります七海(ななみ)こと「ねこ」こと店主・ミカ from 那覇です。

5月最後の先週、3日間に渡り、ヒージャー汁(山羊汁)に入れるフーチバー(ヨモギ)を探して、少しホロホロしました。
フーチバーは庭に生えていたり、どこにでもありそうなんですが、那覇だからかあまり見掛けないんですよね。
ありそうかなぁと思うところを歩いて、歩道の脇にささやかに生えていたフーチバーを少しだけゲットできたのが関の山でした。

「フーチバーがその辺に生えていたのはむかしの話で、いまやスーパーで売っている時代だよ。那覇にはないよ」と那覇の友人。「もしかしたら、『奥武山公園』とか『がじゃんびら公園』にならあるかもしれないね」とアドバイスをくれました。

友人のアドバイスを聞くやいなや、さっそく奥武山公園へ行ってみました。
奥武山公園はわりとよく行くのですが、フーチバーを意識したことはありませんでした。
園内を少しホロホロとしましたが、思った以上にキレイに整備されているためか、残念ながらフーチバーを見つけることはできませんでした。(広い公園なので根気よく探せばあるかも。ですが)

奥武山公園にて、サンニン(月桃)の花

その後、那覇市金城1丁目~垣花町3丁目にある「がじゃんびら公園」へ行ってみました。
ねこは、とーーーーーーっても虫に刺される体質で、いつもガジャン(蚊)の格好の餌食。ガジャンが何匹も、ひどいときは何十匹もたかってくるくらい、ひどいんです。まるで生贄です。
だから、「がじゃん」が付く名前から、どうしても避けたくなるんです。
が、意を決して、12年振りくらいにがじゃんびら公園へ行ってみました。

がじゃんびら公園は少し高台にある細長い公園。
陽が西に傾きはじめた時間帯でしたが、青空だったこともあり気持ちよかったです♪ o(^-^)o

「がじゃんびら公園」からの眺めです。奥武山公園のセルラースタジアムや武道館、那覇軍港などが一望できます。

『那覇市歴史博物館』サイトでご紹介されている「ガジャンビラ」について、簡単にまとめます。

ガジャンビラ

  • ガジャンビラは、垣花(かきのはな)から安次嶺(あしみね)にいたる坂道の名称で、付近一帯を指す地名にもなっている。
  • 1877年刊行の『沖縄志(おきなわし)』(伊地知貞馨(いじちさだか)著)の那覇港図には、「蚊坂(ガジャンビラ)」とあり、ガジャンビラと呼ばれていたことがわかる。
  • 名称の由来は定かではないが、『南島風土記(なんとうふどき)』(東恩納寛惇(ひがしおんなかんじゅん)著)は、坂の付近に住む人名または屋号をとって、「我謝の坂(ガジャヌヒラ)」から転訛したものではないかと記している。一方、那覇の民話では「昔、中国から持ち帰ってきた蚊が、この坂の上で逃げてしまい、ここから琉球国中に広まった」と伝えている。

【出典】那覇市歴史博物館サイトより

 

赤瓦にシーサーの東屋が沖縄っぽいでしょ?!(*^^*)

この日は行かなかったのですが、がじゃんびら公園の西端の眺望広場には美空ひばりさんの「花風の港」の歌碑が建立されています。

なんか、龍柱ぽい!

写真を撮り忘れましたが、フーチバー、見つかりました♪ o(^-^)o
フーチバーが見つかったのも嬉しかったのですが、がじゃんびら公園の東の方を歩いていると、ふと、てぃんさぐぬ花をみつけました。
「てぃんさぐ」とは「ホウセンカ」のことです。

「てぃんさぐぬ花」は沖縄を代表するわらべ唄、教訓歌のひとつです。
『JTA美ら島物語』で連載させて頂きました『沖縄の島唄めぐり 恋ししまうたの風』のなかで、「てぃんさぐぬ花」を取材させて頂いたことがありました。※ご興味のございます方は、ぜひ「てぃんさぐぬ花」をご一読くださいませ。
このとき、てぃんさぐぬ花の写真もぜひ掲載したいなと思っていたのですが、ぜんぜん見つからなくて探し回った記憶があります。

てぃんさぐぬ花しかり、フーチバーしかり。
どこにでもありそうなのに、いざ必要となったときに、ぜんぜん見つからない。。。
気付けるか、気付けないのか。
日頃から意識しているか、していないか、の違いなのかなぁ。

そうそう、フーチバー探しの道すがら、「サクナ(長命草)」が慎ましやかに自生しているところも見つけました。
(ヒージャー汁には、フーチバーが定番と思っていましたが、サクナを入れる方もいらっしゃるそうです。)

よし。
今度、サクナが少し必要になったときは、ココに来て分けていただこう。

なんてことを思いながら過ごしたのでした。

他愛もないお話に最後までお付き合いいただきありがとうございました☆

本日もご愛読にふぇーでーびたん☆
うまんちゅぬ あちゃー かふー うにげーそーいびーん。
みなさまに琉球弧のすべての神々のご加護がありますように☆

Have you seen the fireworks?(花火をみたかい?)

ちゅううがなびら(こんにちは)。
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6月に入り、離島も含め沖縄県内の往来は自粛が解除され、少し気持ち的に楽になった気がします。
七海(ななみ)こと「ねこ」こと店主・ミカ from 那覇です。

昨日2020年6月1日は、夜8時から約5分間、全国で一斉に花火を打ち上げる 「Cheer up!花火プロジェクト」 が開催されました。
三密を避けるため、打ち上げ場所はシークレットで、「悪疫退散を祈願し、花火を見上げて“笑顔”になってもらう。全国の人たちに希望と元気を届けたい。」という花火業者さんたちの想いがつまった「全国一斉悪疫退散祈願」の花火です。

みなさまは花火ご覧になれましたか?

沖縄は 「(有)沖縄花火(糸満市阿波根)」、「(有)サウスエリア(宜野湾市喜友名)」、「(有)スターフィールド(那覇市首里)」の3社がご参加。

どこから上がるのかなぁとソワソワしながら自宅のベランダや玄関先を行ったり来たりしましたところ、「ドーン」「ドーン」というかすかな音が聞こえ、遠くの方で小さく輝く花火が見えました。小さくとも、花火が見えると嬉しいものです。
ご参加の花火業者のみなさま、お疲れさまでした☆&ありがとうございました☆

※イメージ
川開きと花火その由来
歴史的記録の残るものは両国の花火が最古となっています。
江戸時代の享保17年(1732)の大飢餓で多くの餓死者が出て、更に疫病が流行し国勢に多大な被害と影響を与えました。
幕府(8代将軍吉宗)は、翌18年(1733)5月28日(旧暦)犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭を行いました。
この時に、両国橋周辺の料理屋が公許(許可)により花火を上げたことが「両国の川開き」の由来とされています。
【出典】隅田川花火大会公式サイトより

花火は法律用語で「煙火(えんか)」と言うそうです。
花火についてご興味のございます方は、「公益社団法人 日本煙火協会」サイトにございます『花火入門(小冊子)』をご覧いただくとよいかと思います。o(^-^)o

沖縄を代表する花火大会も今年は中止になっています。
コロナ禍が収束し、心置きなく花火を楽しめる日が来ることを祈るばかりです。

※イメージ

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